四畳半ネットワーク


青年がその四畳半で考えていることといえば、大体総てのことだと言えるだろう。
切れかけている蛍光灯を変えるまでの手間であるとか、聞いたこともない国の通貨の流通についてであるとか、肉体を保持したままイデア界に行く手段であるとか、カブトムシが完全変態の昆虫であることとか、ゴシップ記事に対して興味を惹かれる人々の心理であるとか、それは実に多岐に及んでいた。
ただひとつ、自分が死ぬことについてを除いての話であるが。

勘違いしないで頂きたいのは、別に怖いからではなかった。
青年はとことんあらゆることに関心がなかっただけであり、だからこそ目についたもののことは何でも調べた。無関心だからこそ際限なく調べ尽くすことができた。
ただ、自分が死ぬことについては目に入る場所になかった。それだけのことである。


四畳半には押入れがついていて、彼はそこの上段に腰掛ける。
膝の上にノートパソコンをおいて、電源をつければ立ち上がる便利なインターネット。四畳半にだって無線LANぐらい入るんだ、と青年は思う。誰かに伝えたいわけではないので思うに過ぎない。非常に自己完結的な感情だ。
彼とパソコンと四畳半とをこの世界に結線するのは、たらりと垂れる充電ケーブル。

「ミネラルウォーター 2000ml 軟水」と入力、適当なオンラインショップで購入ボタンをクリックする。
押し入れから足をぶらぶらさせて閑散とした畳を見下ろす。せんべい布団というほど粗末なものではないが、高級とも言いがたい。
彼の生活は、四畳半という言葉がイメージさせるような貧乏臭いものではなかった。むしろ青年は気品のある風情であったし、それは四畳半というのが過不足なく彼に沿っているからなのだろう。過不足がないというのは美しい、彼は自分に不必要なものをむやみと求めたりはしない。

もう3時間もすればゴミ出しに行けるだろうか、片付いた部屋は築30年相応に古ぼけてはいるが、清潔に保たれている。おそらく彼は几帳面な性格といえるだろう。その割に生活感のなさそうな雰囲気が濃くて、相容れないその様子はどことなく研究者然としていた。

一度押入れから降りた彼はCDデッキに歩み寄り、電源を落とす。それに伴って電波に乗って入り込んでいたラジオ番組は途切れた。再び押入れに腰掛け直すと、手慣れた様子でパソコンからソフトを起動して音楽を再生する。
曖昧にゆらゆら揺れるエフェクターの掛かりまくった曲を聴きながら、彼は両腕をパソコンから離した。肩の力がくたりと抜ける。手足をぶらりとさせながら、青年は無機物のようになった。

部屋から、おおよそ有機的なものが消える。


何曲再生した後だろうか、青年はゆっくりとパソコンを膝から下ろし押入れに置いた。
彼は、音楽を聴いて、感動とか、するのかしら。
冷蔵庫から取り出した2000mlのミネラルウォーターを片手鍋に放り込み、麦茶を煮出す。ぐつぐつ煮える音とパソコンから流れる音楽が混ざり合う。

青年は、鍋について考え始める。鍋、そうだな、中華鍋だ、中華鍋について考える。明日には忘れてしまうことを考える。
麦茶が出来上がる頃、そうだやかんを買おうと3日に1度は考えることをまた思い出して、そんなことだってすぐ忘れてしまうのだけれど、だから今日こそ忘れる前に。

押入れに腰掛けて「やかん 購入 amazon」と入力しながら、音楽の再生が終わっていたことに彼はようやく気付くのだ。
充電ケーブルが揺れている。目を閉じる。断線しづらいケーブルについて考える。彼はいつも何かを考えている。もちろん、自分が死ぬことについてを除いて、ではあるが。